先日、福岡市内で行われたイベント「捨てないブロジェクト」に応募させていただいた、

我が家の「捨てられない思い出の着物」エピソードをブログでもご紹介させていただきます。

おばあちゃんから孫たちへ、戦火を逃れ受け継がれた思い出の着物のお話です。

どうぞ、ご覧くださいませ。

 

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【主人の母が宮参りの時に誂えてもらった祝着】

 

主人と私の間に、初めての子が生まれたのは八年前のこと。

松尾の家の初孫ということもあり、主人の両親はとてもよろこんでくれた。
主人をふくめ、男ばかりの三人兄弟であった松尾家。お腹の子が女の子とわかったときの義父母の顔はいまでも覚えている。
念願叶うとは、まさにこのこと。おふたりともそんな表情をされていた。

着物が大好きという点で、お姑さんと私はつながっていた。

「もし、ミエさんが気に入ってくれるなら・・・」義母がそう言いながら畳紙を開いたときこそ、私とこの着物が出会った瞬間であった。

義母は恥ずかしそうに、そして、ほんの少し嬉しそうにこう話してくれた。

この着物は、自分が生まれたときに両親が誂え、お宮参りにまとった着物であること。
自分の妹も三歳の祝いに、この着物を着たこと。
自分には女の子がいなかったので、一時期、市松人形に着せて飾っていたこともあるなど・・・。
ハサミを入れて、何かに形を変えようと思ったこともあったけど、結局それは出来ず今こうして着物の形で残っているのだと。

貴女の好みもあるだろうから、新しいものが良ければ、それを用意すればいいと思うし、もしこれでも良ければ、生まれてくる女の子のお宮参りにこの着物をかけてはどうかと。
決して押し付けるわけではなく、古いものだからと申し訳なさそうにも見えた義母の姿がいまでも忘れられない。

襟の内側には、「ナガオ」と義母の旧姓が刺繍されていた。

国債が紙切れになってしまった時代だから、お米や野菜に替えられた着物もたくさんあったといつも義母が話していた。
着られる着物は、子供たちの食べ物に替え、この着物を残してくれた義母のご両親の想いを考えると、深いものを感じる。

「お義母さん、よろこんでお借りいたします。」

先の戦争で、焼けることも、手放されることもなく、奇跡的に残った一枚。
70年以上の時を経て、
娘たち二人は、大好きなおばあちゃんと同じこの着物でお宮参りを済ませた。

祖母としてまとった義母、母としてまとった私、そしてこの世に新しく生を受けてきたものとしてまとった二人の娘たちは、今日もこの着物に守られているかのごとく、同じ敷地で、ともに一日を過ごしている。

私や娘が大切に保管をすれば、またいつか次の世代でも纏うことが出来ると思うと、責任は重大である。

でも、それは、縁あってこの家に集った女達に限られたとても楽しく且つ贅沢なプロジェクト。

受け継がれるものがいっぱい。

二世帯同居も、悪くないなと。
この着物を見るたびに、私はいつもそう思う。