母の手紙と、母のメール。
「ミエさん、筆まめね。」
お友達から、よくそう言っていただけます。
手紙を書くことは好きですし、それ以前に便箋や切手を選ぶのもまた楽しくて。
福岡らしいものや、季節感のあるもの、そうでなくともなんとなく気に入ったもの
いろんな切手をストックしています。
実家の母が、私なんて足元にも及ばないくらいに筆まめなひとで
一ヶ月に少なくとも二度ほどは、必ず母から手紙が届きます。
お嫁に来てから松尾の義母から頂いた、松の描かれた文箱には、収まりきれないくらいの実家から届いた手紙が詰まっています。
縦に40センチほどある大きな文箱を、娘たちは「玉手箱みたい!」と羨ましそうにいつも見ています。
携帯を持たない母は、メールを一切送らないひとです。
その母から、たった一度だけ、私が次女を産んだすぐ後にメールをもらったことがあります。
長女の時も、次女の時も里帰りはせずに福岡で出産したのですが、母は私が退院するまで鳥取で待機。
退院とともに、産後のお手伝いに来てもらうというお願いをしていました。
産後二日目に、私が体調をくずし病室をうつることになり、その旨を父の携帯にメールで報告したあとに
その父の携帯から、初めて母の打ったメールをもらいました。
春には春の、秋には秋の、その時その時の言葉をそえるいつもの手紙とは違い
平仮名ばかりで、ちいさい「っ」も、ちいさい「ゅ」もない、そのメールには
「いまはかんごふさんにまかせます。いつでもそちらにいくしたくはしています」と、そのようなことが書いてあったように記憶しています。
母からのメールは、それきりで、今でもあいかわらず「携帯持たない」派の母です。
箱いっぱいに溜まった手紙は、母からのものだけでなく、友人やお客さまから、娘たちから、主人から、たくさんあって
断ることも、捨てることも、離れることもできないままにしまっています。
そんなわけで、母にはまだまだ及ぶわけもなく、筆まめねと言われるとうれしいような恥ずかしいような。
少しでも、母のような、本当の筆まめな女性になれるように、今日もまたお客さまへと筆を取ります。
主人と制作した「博多衣裳雛」の写真で新しいポストカードを作りました。
今日、母にも送ります。